誰しも未来への希望やビジョンがあるだろう。
叶いそうな些細なことから、夢みたいな壮大なものまで、ただし後悔というリスクもそれには常について回る。
映画「幼な子われらに生まれ」は家族に巣食う後悔と希望の物語。
それぞれバツイチで子供がいる夫婦。
妻(田中麗奈)には2人の娘、夫(浅野忠信)には母親についていった娘が1人。1人血の繋がらない家族ながら2人の子の父になった田中(浅野)は、年に4回会う実の娘とのひと時を楽しみ、帰りにはケーキを買って帰るという献身的な父親という役割を担っていた。
ただ妻の妊娠をきっかけに、最初は懐いてくれていた長女は徐々に田中を拒絶するようになり、ことあるごとに反抗心をむき出しにする。
会社の人員削減のための出向扱いに耐え、自宅でも安らげない田中の我慢はついに限界を超え、本当の父親に会いたいと言う長女の言葉に乗っかるしか未来はないと思うようになる。
子供がいなくて、両親とも実の親という私にはこの作品を本当の意味で理解することはないのだろうなと思えました。
ただ現代でこういった、「それぞれの両親に離婚歴があり、血の繋がらない子供同士が寄り添って暮らしている」という状況は珍しくないのかもしれないなと思います。
果たして「血」とは何なのか「育ての親」とは。
父性が欠落し、暴力が原因で疎遠になった実の父親に、長女も本気で会いたいとは思ってないだろう。ただ、新しく父親となった男が実の娘とも今も会っており、その上母親と新しく命を授かろうとしている、その事実は未熟な心に大きな不安を抱かせるのに充分なのだろうと思えます。
そんな時田中は、実の娘が病に伏せる新しい父親と思いの外深く繋がっていることを目の当たりにする。その時の表情からはどんな心持ちなのかを読み取ることは難しかったけれど、多少の嫉妬はあっただろうと推測します。
夫婦が他人になっても子供と親は繋がっている。
そんなことは理解の上で再婚したのだろうけれど、月日が経過するほどわからなくなったり、わかっているつもりだと思っていても心の奥底では苦しんでいたり、人の気持ちは常に変化し、動いているのだと思います。
自分の中ではなかなか消化しきれない物語で、まるで自分の意思で注文していない飲み物を必死で喉に押し込んでいるような気持ちになりました。
飲み砕いて一息ついた先に、家族という脆くて小さい、でも濃密で常について回る「単位」がゆらゆら揺らいで見えました。
それにしても浅野忠信さん、やっぱり魅力的。あの普通の男の普通の会話を、飄々とやってしまうその存在感に敬服してしまうんです。普通って案外難しい。
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